獣医師とは
獣医師とは動物のための医者なのか?単語を見ただけなら誰でもそう思うだろう。しかし、実際に獣医学を学び、その仕事に携わってみるといろいろと見えてくる。オイラが獣医学に携わって感じたことは、獣医師になるということは動物の命を預かるってことは確かに正しいが、それはあくまでも過程であり、その本質は「動物を利用して人間の役に立つことをする」ことだと思う。この「人間の役に立つこと」の過程の中に動物を利用したり、殺したり、そして治療することも含まれているだけなのだと。獣医学とは決して動物のための学問などではない。
食用や教育目的、実験などで動物の命を奪うことをあえて「殺す」と言わせてもらう。「命を投げ出してもらう」とか「犠牲になってもらう」なんて奇麗事は言いたくない。何はどうあれ、要は「殺す」わけだ。奇麗事で自己満足したり許しを請うたりせずに、「自分が殺しているのだ」という事実を受け止めなければ命を扱う資格はないと思う。
現在はいろいろな手段で情報が入手でき、獣医学科という所が実際にどういったことをやるかってこともだいたい解っているだろう。それを知った上で、解剖とか手術が怖い、動物を殺すのが嫌だというなら、それは獣医師を目指すべきではないかもしれない。単純に動物を救う関係の仕事をしたいってんなら獣医師よりもAHT(アニマルヘルステクニシャン)の方がいいだろう。動物の命を扱う獣医師になるということは、それなりに覚悟と責任と信念が必要だろう。その命を救うにしても、あるいは殺すにしても。それらの覚悟ができないなら、いたずらに生死をあずかる獣医師を目指すべきではない。
現在、獣医師であるオイラは研究職で、実験動物をあつかっている。すなわち動物を救う仕事ではなく、動物を殺す仕事をやっている。別に殺すことが好きなわけではない。オイラは自分が食っていくため、生きていくために仕事としてやっているということ。つまり、自分が生きるために他の動物を殺している。自然界においても動物は他の生物を殺し、食べる。全ては自分が生きていくために(例えが極端かもしれないが)。だからオイラは自分のやっている仕事、動物を殺すことを「広い目で見れば人間や他の動物のためとなることなんだ」などと綺麗事にするつもりなどない。ただ、自分が生きていくため生活していくためにやっている。そしてその仕事が必要とされ、誰かがやらなければならないからたまたまその一員としてオイラがやっているだけである。
それ
―動物を利用すること―
が正しいかとか間違っているとかいった議論もあるが、そんなもの永久に答えはでない。他の生物との係わり合い無しに生きていくことができる生物など存在しないのだから。食べているもの、着ているもの、使っているもの、全てが何らかの生物と関連しているハズだ。ベジタリアンだとか動物愛護者だとか関係ない。野菜だって生物であり、飲水や水道水だって多数の細菌や微生物を殺して利用している。
ただオイラは無駄に殺しているわけではない。それは少なくとも「そのような試験をしてデータを出してくれ」と依頼する者がいるからである。その依頼者にとってはその結果が意味のあることで役に立つわけである。そして依頼者は新しい製品を生み出し、新たな仕事として利益を得て、企業やそこで働いている人たちも生きていくことができるわけである。それらの試験をこなしたオイラ達も報酬をもらい生きていくことができるわけである。頼まれもしないのに勝手に実験をして殺すわけではない。依頼するものがいるから依頼されるものもいる。誰かがやらねばならない。オイラはその「誰か」になっただけだ。畜産関係の仕事も同じことだ。生きるために肉や魚を食べる人がいるわけで、その人達のために動物を殺して肉にする。それを仕事とすることで畜産関係の人達も生きていくことができる。
弱肉強食の自然界の唯一の掟を表す言葉である。他のすべての事は自然なことではない、邪道なことだ。それが実験などで動物を利用したり、殺したり、可愛がったり、あるいは治療することも。自然界ではそのようなことはありえない。こういった行動の全て、つまり人間と動物の関係そのものが既に自然から逸脱した不自然なことなのだ。いや、人間の存在そのものがもはや不自然なのだ。そのことに対してあれは正しいとかよくないとか議論してどうなるといのか。動物を実験に使ったり食用に繁殖するのは無論人間のため。動物を可愛がったり飼育したりするのも人間の一方的な都合。ペットの治療をすることも飼主=人間のため。その全ては人間の都合の上になりたっていることだ。
動物実験について
動物愛護のさかんな現在、動物実験についてもいろいろと問題があげられている。数を減らせとか、代替法を使え、とかコンピュータでやれとか。確かにそれらはある程度可能であるだろうが、動物実験そのものを完全に無くすことは、はっきりいって永久に不可能だろう。どんなに優れた代替試験法やプログラムができてもそれはしょせん、プログラムであり、細胞・微生物レベルでの実験結果にすぎない。実際にその実験で使用した物質で作られた薬物や食品を使用するのは、口に入るのは、生体に作用するのは、人間という生物個体そのものなのだから。生物というのはその存在自体が奇跡であり、そのメカニズムは非常に複雑で細胞1個単位やコンピュータなどで再現できるほど単純なものではない。そんな机上の結果しか得られていないような薬や物質を自分や、家族、子供に与えることが出来るというのだろうか?
同様に、解剖や動物を切るのがイヤだという人もいるが、そういう人達は獣医師に
―少なくとも動物の治療をしたいなどと思うべきではない。解剖などしなくても獣医師としてやっていける仕事は他にもあるのだから。実際の動物を扱ったこともない、本や模型だけで勉強してきた獣医師に自分のペットをまかせられるのか? 手術をまかせられるのか? 屍体しかあつかったことがないというのも同じだ。屍体と実際の患畜は全然違う。治療すべき相手は「生きている」のだから。模型や屍体だけを相手にしてきて、実際に生きた動物を相手にして何ができるのか? 屍体100体を相手にするよりも、生きている動物10匹を相手にする方がはるかにタメになるだろう。使用する動物数も少なくてすむ。
「生きた動物を治療する」ということは「失敗すれば殺してしまう」ということだ。動物の死を受け入れる覚悟がないのなら動物の命を相手にすべきではない。それでも動物を殺さずに臨床獣医師になる!ってこともまぁ不可能ではないだろうが、とてつもない時間と経験を必要とし、ものすごい遠回りになってしまうと思うが。人間の医者のように・・・。
獣医学科に入ったら確実に動物の命を奪う機会が何度もある。それはおそらく決して避けて通ることは出来ない道である。好き好んでそういった行為をやる者はいないが、少なくとも獣医学科に入って「私には殺せない」などといってそのような機会に手を出さない者は一人もいないということも知っておいて欲しい。獣医学科に入ってくる者はみなそれ相応の覚悟と信念を持って入ってきているのだと。
これらのことはオイラの独断的思考で非常に偏っていると思います。多数の反対意見などもあると思いますが、どうかご容赦ください。。。